2004年12月30日

●コンスタンティノープル

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「コンスタンティノープルの陥落」 塩野七生著(新潮社)
ぼくは、この本を読んだとたんイスタンブールに行きたくなった。一ヵ月後ぼくは成田からのトルコ航空機内にいた。


turkey3.gifルメリ・ヒサール ボスポラス海峡を挟み、ヨーロッパ側の要塞「ルメリ・ヒサール」は、コンスタンティノープル陥落の前年、1452 年に築かれたものである。
それまで1000年にわたって栄えたビザンチ ン帝国の首都コンスタンティノープル終焉の現場だ。

ほぼ丸一日、この要塞で過ごしたが 訪れる観光客はほとんどいなかった。ボスポラス海峡クルーズで、船から眺めるのが定番のようだ。
冬にしては珍しく晴れ渡った日、「コンスタンティノープルの陥落」で展開された この海峡を舞台に繰り広げられた壮絶な戦いを、しみじみと思い浮かべた一日であった。

●チュニジアン・ドア

tunisrd.gifチュニスのメインストリートであるブルギバ通りに面する「カフェ・ド・パリ 」でミントティーを飲みながら、カルタゴを想う。
紀元前九世紀にフェニキア人の植民市として建国され、紀元前二世紀にわたって 古代世界の商人の帝国として最も繁栄していた「地中海の不沈母艦」といわれ たカルタゴ(現チュニス近郊)。 優れた海洋技術を駆使し貿易によって繁栄を極めた後、3回のポエニ戦争によ ってローマ帝国によって徹底的に滅ぼされたカルタゴ。
物財中心の繁栄、傭兵による防衛、文化的創造は後回し、周辺国との協調なし,・・・・まるで今の日本とダブってくるカルタゴ。
ローマ元老院の老カトオは常に演説の最後にこの言葉で締めくくったという。

「デレンダ・エスト・カルターゴ」(カルタゴを滅ぼさねば」

tunisia55.gifカルタゴ以来多くの民族の影響を受け、独自の文化を創り上げたチュニジア。
わずか1週間の短い滞在であったが心に多くのことが刻み込まれた国であった 。
色鮮やかなブルーのドア。チュニスから市街電車で30分のシティブサイドは チュウニジアンドアの宝庫。地中海の青い空に溶け込む鮮やかさだ。  カフェテラスでくつろぐひと時が何とも言えない・・・・。
「イン・シャー・アッラー(アッラーの思し召しのままに)」 が挨拶の国チュニジア。再び訪れたい国である。

※推薦図書:「チュニジア旅の記憶」高田京子著(彩流社刊)

2004年12月12日

●鳥だけが自由

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韓国民族分断の現場「板門店(パンムンジョム)」、ソウルから車で わずか1時間半。1953年来の休戦中とはいえ、身体に震えがくるほど緊張する場所である。
近くの臨津江(イムジンカン)のほとりには、プサンから鴨緑江を経て北京まで走った列車が停車している。いつの日か、再び走る日を待って。

軍事停戦委員会の建物の中は、テーブル中央のマイクの線を境に、北と南に分かれている。この建物の中だけは、北側に入ることができる。しかし、画像中央の土盛りを越えることはできない。

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休戦ラインから北の町並みが見える。風に乗って南への宣伝放送が聞こえてくる。陽が沈むと町並みに「一斉に」明かりが灯るという。もちろん建物のなかに、人影を見ることはできないそうだ。戦後始まった帰還運動で約6,000人の日本人が北に渡っている。そのほとんどの行方はわからない。 相変わらず閉ざされた地域だ。 さらに拉致したたくさんの日本人が暮らしている。

鳥だけが自由に往来できる場所「板門店」である。

2004年12月10日

●正名運動15万人集会in台北

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気温35度の晴れ渡る2003年9月6日、台湾台北市で「中華民国」の国号を「台湾」にすることを要求する 台湾正名デモ行進が挙行された。このデモは「511台湾正名運動連盟」主催で、10万人の動員を目指していたが、台湾団結連盟、民進党などの政党や台湾独立支持派団体が参加を呼びかけた結果、それを大きく上回る15万人以上が参加した。
日本からは在日台湾同郷会、日本李登輝友の会、台湾を支持する地方議員20人などがデモに参加、「台湾のWHO加盟を支持する」などと書かれたプラカードを掲げ訴えた。
タイワン(台湾)!レンハプコク(聯合國=国連)! タイワンラン(台湾人)!タイワンコク(台湾國)!という掛け声が会場に響き 渡った。




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李前総統は、「皆さんと一緒にパレードに参加できて本当に嬉しい」との挨拶に続き、「中華民国」は存在しないと発言、その理由三点をあげた。
第一に、中華民国が生まれた1912年、台湾は中華民国領でなかった。  
第二に、1945年に中華民国が戦勝国として台湾を占 領した。 
第三に、1949年中華民国の領土は中国共産党に占領され、中華民国は領土を失っ た。事実上、中華民国の「国号」だけが台湾に残った。しかし、1971年に中華民国が 国連から追放されてから、中華民国は国際社会から消失してしまった。
李前総統はこの3点をふまえて、「中華民国」は不正常な国家なので「台湾」に国号を改める必要性があることを訴えた。

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seimei3.jpgパレードが終わり台北市北部にそびえ立つ圓山大飯店において、 「台湾李登輝友の会」主催の晩餐会が三時間にわたって開かれ私も参加する機会をえた。
総勢100人の小規模であったが李登輝閣下、曾文恵夫人、 台湾李登輝友の会会長であり老台北(司馬遼太郎の台湾紀行)こと蔡焜燦氏、日本李登輝友の会副会長 小田村四郎氏、同常務理事 林建良氏、台湾国策顧問金美齢・周英明ご夫妻、黄昭堂国策顧問、黄文雄先生ら台湾・日本両国の著名人が参加した。
李登輝閣下は、挨拶のなかでは正名運動の趣旨、正名運動に至ったこれまでの歴史等を紹介、新しい台湾国父としてアイデンティティ確立を訴えられた。

晩餐会は三時間にわたって開かれたが、最後まで夫人とともに参加。晩餐会締めくくりには、各テーブルをまわり乾杯の挨拶をされた。