2006年03月24日

●お知らせ

いつもお寄りいただきありがとうございます。

トラックバックをいただいたりコメントをさせていただいた方には、livedoorからの移設後再びご迷惑をおかけします。

このたびブログ運用を少しでも容易にし、将来的にも安定したブログ設計ができるよう考慮して、サイトのphp化を行ないました。このため個別エントリーURLやアーカイブURLが変わりました。
自動的に新しいURLに移る仕組みを作っていたのですが、うまくいかず結果的にはご迷惑をかけることになりました。
何卒ご理解をいただき、引き続きお寄りいただければ幸いでございます。

(なお本エントリーは適切な時期に削除する予定です)

2006年03月21日

●消えた父を探して

ikegami5y7.jpg池上一郎博士文庫創立5周年紀念祭に来られていた阮美[女へんに朱](げん・みす)さん(78)が、『台湾二二八の真実 消えた父を探して』、『漫画 台湾二二八事件』(いずれもまどか出版)を日本で出版した。

について知る日本人は少ないが、台湾の歴史においては重要な出来事として位置づけられている。

日本時代が終わりまもなく起こった国民党による台湾人粛清の出来事であり、初期には日本人が仕組んだものという噂も流れたそうだ。

阮さんの父親は、二二八事件の被害者であった。
(げん・ちょうじつ)氏は当時、台湾人の有力新聞「台湾新生報」の社長を務めていたが、事件発生数日後に官憲により自宅から連行されたまま行方知れずとなった。
父を深く愛していた阮さんは、衝撃と深い悲しみの中、それ以後の人生を父親の行方探しと二二八事件の真実追及に費やしたのだ。

阮さんの父親探しの旅は、九七年二月、事件からちょうど五十年後に大きなピリオドを打つ。
事件当時、警備司令部の運転手だったという老人が訪ねてきて、阮朝日氏ら三人を車で台北市郊外の山に運び、そこで銃殺される現場を目撃したと告げたのだった。

二二八事件の責任者は、長らく当時の台湾省行政長官、陳儀(ちんぎ)とされていたが、陳水扁・民進党政権下の総統府国史館は2月、ついに「最大の責任者は蒋介石」とする報告書を発表した。

台湾民主化後の97年に台北市の総統府近くにできた「二二八記念館」には、手のひらと足を針金で通され数珠つなぎにされた犠牲者たちが、国民党軍により背後から銃撃され、基隆川に落とされる衝撃的なシーンが絵と写真で紹介されているが、その事件で奇跡的に助かった犠牲者の一人を探し出し、生々しい証言を得たのも阮さんだった。
阮さんは台湾南部に私設「二二八記念館」をつくり、歴史を後世に伝える努力をされている。
また他の被害者の家族も私設記念館をつくり頑張っておられる。

二二八事件は、近年日本でも紹介されることが多い。
台湾現代史でもある(さい・こんさん)著『台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい』(小学館文庫)には、時代背景とともに詳しく書かれている。

阮さんは、「父が戦前、日本で学んだことに始まる日本との深い因縁、二二八事件で連行された父の連行後の記録の一部を初めて発見したのが日本だったこと、なにより、日本の方々に二二八事件の真実とその意味を知っていただきたかったからです」と日本での出版の理由を話している。

さらに「台湾人はもとより、台湾を五十年余り統治した日本人も戦後台湾でおきた惨劇を知ることで、公正な歴史認識を持ち、自分たちのアイデンティティーを確認し、民族間の和解も可能になるのでは」

全くその通りだ。

我々も先人が日本時代をどう台湾と関わったのか、どう生きたのかを知ることは、日本のアジアにおける歴史を正しく見つめなおすいいキッカケになるのではないだろうか。

2006年03月02日

●高砂義勇隊記念碑をめぐる騒動

慰霊碑をめぐり烏来では大変な騒動になった。(千点写行参照

台湾先住民出身の「高砂義勇兵」の戦没者を祭る慰霊碑“撤去”の危機、そして日本からの寄付による移転、落成記念式典が2006/2/8に行われたことは、本ブログに追記したところだ。

そんななか、国会議員で問題ばかり起こしてきた高金素梅が建設手続き上の不備を台北県副県長に抗議した。さらに、抗議を受けた台北県の李鴻源副県長が「県を代表して謝罪し、記念碑の撤去を求めた」というニュースが飛び込んできた。
最初に慰霊碑を建てた周麗梅さんのご子息、マカイ・リムイさん、そして義勇隊紀念協会は、「子孫へ語り継ぐ歴史の重要性を強調し、県政府による撤去には反対する」ことを表明したとのこと。

高金素梅、国民党による今回の愚行は、原住民の信頼を失うことになるのは間違いない。

(※詳しい状況はブログ「台湾生活」、関係団体の表明文を参照ください。)

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