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2011年05月23日

●交流記念碑 建立への想い

台湾、基隆にある小さな島、和平島。
その一角にある慰霊堂には約三千人の琉球ウミンチュ(海人)が大切に埋骨されていると言われている。今この時も、海の守り神と共に祭られ、地元ボランティアの皆様が、献花や焼香、施設の清掃などの管理を続けている。
そんな過去の日本と台湾の民間交流のシンボル「琉球ウミンチュの像(交流記念碑)」を台湾・基隆の和平島につくろうと日台民間協力で進められている。

日清戦争が終結した1895年以降、台湾で日本統治が始まると基隆港の建設や漁業のため沖縄から多くの漁師が移住した。各地に沖縄人集落がつくられ、最大規模で500~600人に達し、地元の漁師にカジキ漁の技術などを伝えたといわれている

発起人のひとりであり友人である許光輝氏は八田與一記念公園開園、八田技師が造った烏山頭水庫の世界遺産登録推進に努力されている。
日本側発起人は沖縄で国際ビジネス会社を経営している石原地江(くにえ)氏
八田記念館開園イベントでお会いしたがアクティブで素敵な方だ、

今年9月完工を目指して建立寄付金の募集を行っている。

多くの方の支援をお願いします。

[趣意書より引用]
なぜこれほどまでに琉球(沖縄)が地元の人々に愛され続けているのか。時代は百年以上も昔、1895年にさかのぼります。
日清戦争の処理として、清国は台湾と周辺諸島を日本へ譲渡しました。
1905年ごろからウミンチュは台湾に渡り、やがて和平島の西南地区に「琉球村」を作ります。その後は沖縄県旧知念村久高島出身の内間長三氏を中心に、当時の先端漁法技術を導入し、基隆海域で漁業を営みました。
1921年ごろになると和平島のウミンチュは500名に達し、地元の長老は当時の様子を「沖縄漁師のお蔭で基隆は栄え、私たちはお互いによい友情関係を保っていた。沖縄漁師の二世と僕らは、兄弟みたいな関係だったよ。」と懐かしげに語ります。
台湾と沖縄の友好関係は、ウミンチュの力によって浸透したと言っても過言ではありません。

雄大な希望と共に大海原を渡り、国際交流のパイオニアとしての気概を持ったウミンチュを称え、互いの歴史文化の接点、共有点としたいのです。お互いが記念像を囲んで経済・文化・学術の交流をすることによって、双方の関係がますます輝かしい発展を遂げると、私たちは信じているのです。

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11月に完成、堂々と和平島に鎮座している。
2012年1月許光輝氏と共に訪れた。(写真は許氏)


慰霊堂は和平島の西南で、入り口の右側。駅から和平島へ行くバスは「101番」(15元)
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