2016年03月26日

●池上一郎博士文庫感謝状受賞

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台湾南部屏東県竹田郷にある「池上一郎博士文庫」は、2016年3月23日公益財団法人交流協会高雄事務所より感謝状が贈呈されました。長年にわたる日本書籍文庫を通した日台の相互理解、友好親善、日本文化の紹介等の活動を行ってきたことに対し高雄事務所長から贈られたものです。贈呈式は3月23日高雄漢来大飯店において行われ、日頃の運営管理にご尽力されてきた代表の劉耀祖氏、館長の曾貴珍女史、張達銘氏、王陽宗氏、張海華氏、周俊男氏、張月環女史の方々が参加されました。

文庫は、2001年1月16日に設立されたもので、今年15年を迎えました。池上一郎氏(1911-2001年)は、日本統治下竹田村の病院に勤務、戦後は日本において台湾からの留学生を支援するとともに、第二のふるさとである竹田に書籍や奨学金寄付を行いました。地域住民からは大変尊敬され、文庫は台湾政府文建会によって竹田駅公園として整備されるなか現在文庫代表である劉耀祖氏と多くの方の協力のもとに設立されたものです。
文庫には、池上一郎氏をはじめ日本国内、台湾在住の日本人及び地方有志から寄贈された一万冊を超える書籍を所蔵し、”亜細亜最南端の日文図書館”として竹田郷民を中心に多くの方に愛読されています。
今後も日本語を学ぶ多くの若者に活用してほしい施設です。

池上一郎博士文庫紹介ホームページ


台湾協会報・第739号(2016.4.15)

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2016年02月17日

●台湾台東に鹿野神社復活

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台湾南部の台東近くの鹿野に、84年前の神社、「鹿野神社」が復活しました。
日本占領時代、日本の新潟県や長野県の人たちがここに移り住みサトウキビの栽培に携わったところで、ここに住む日本の人たちのお祭りや婚礼が行われていたそうです。しかし戦後は解体されて基礎部分が残るのみとなっていました。

鹿野駅からバスで行かれますが、一時間に一本程度しかなく歩いた方が早いこともあるかもしれません。台湾好行のバスも台東からのルートでありますが一日五、六本程度しかありません。駅前には200元で行ってくれるタクシーもあります。

鹿野駅正面の道を少し行くとバス通りがありますので左に曲がって緩やかな上り坂大通りを20分程度道なりに歩くと、「阿度の店(貸し自転車店)」があります。その先5分くらいのところにある「崙慈堂 ( lun ci tang)」の裏手に鹿野神社はあります。
時間に余裕があれば自転車を借りて周辺を散策してもいいかもしれません。

鹿野神社 鹿野郷光栄路308号

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2015年06月18日

●予告: 池上一郎博士文庫15周年慶

池上一郎博士文庫が開設され15年。
節目の15周年慶の集まりが2016年1月16日に行われます。
ぜひ多くの方がご参加いただけるようお願いします。

また、今後の文庫が台湾の若い方の財産になっていけば池上一郎博士もお喜びになられるはず。
若い方のご参加も期待したいです。

参考サイト: 池上一郎文庫と竹田驛

2015年02月11日

●※再開※

しばらく休止していましたが少しずつ再開いたします。
しかし多くの情報がネット上に流通していますので最小限のアップになると思います。

今後ともよろしくお願いいたします。

2012年11月10日

●高砂義勇隊慰霊碑

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「高砂義勇隊慰霊碑」は1992年建立され本ブログでも記したが、その後、台湾の国会議員で問題ばかり起こし、靖国神社で毎年暴れてる下品な高金素梅により撤去されてしまった。
しかし、最近になって新たな場所に設置された。
烏来中心街から歩いて一時間弱の瀑布公園内「主題記念区」。
現在(2012年10月)は、トロッコ列車は無期限運行停止中だが、トロッコ列車に乗れば20分以上は時間短縮となる。
晴れた日であれば素敵なハイキングにもなるところ。
ぜひ多くの方に訪れてほしいところだ。

2012年10月30日

●台湾で神様になった日本人

台南・鎮安堂飛虎将軍廟  杉浦茂峰少尉


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詳しくはこちら


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台南駅正面出口からロータリー右正面から「3番バス」で25分(20-30分毎)。台南市街からは文賢路、海佃路一段、海佃路二段(17甲号線)を北上する。市街中心地から8kmほどのところにある「同安路口」で下車し、同安路を400mほどいったところの大安街との交差点の北西角(左手奥側)が「飛虎将軍鎮安堂」。




          ◇           ◇






屏東縣枋寮・東龍宮   田中綱常将軍


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詳しくはこちら


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南廻線枋寮駅下車、徒歩10分(橋徳国小前)
駅前すぐの僑徳路を左方向へ道なりに10分。




          ◇           ◇ 




嘉義縣東石鄉副瀨村・ 富安宮   義愛公(森川清次郎)


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詳しくはこちら


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高鐵嘉義駅前一般バス停留所から朴子行きバスで15分朴子のりかえ(台鐵嘉義駅からは20分毎にあり)。朴子から港乾暦(港だけ日本字ですがあと2字は似たような字)行きのバスで15分の「副瀬」下車。徒歩3分。




※公共交通機関の詳細をお知りになりたいかたはこちらからどうぞ





2012年01月20日

●池上一郎博士文庫11周年慶

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今年も池上一郎博士文庫周年慶が1月15日行われた。
11周年である。
前日総統選挙等が行われたこともあり、参加者の多くは蔡英文氏敗退を悔しがっていたのが印象的。
例年に比べやや参加者が少ない。
高齢の参加者が多いが、皆さんとってもお元気。一年ぶりの再会をそれぞれ祝しあった三時間だった。

来年は1月12日(土)の予定

2011年05月23日

●交流記念碑 建立への想い

台湾、基隆にある小さな島、和平島。
その一角にある慰霊堂には約三千人の琉球ウミンチュ(海人)が大切に埋骨されていると言われている。今この時も、海の守り神と共に祭られ、地元ボランティアの皆様が、献花や焼香、施設の清掃などの管理を続けている。
そんな過去の日本と台湾の民間交流のシンボル「琉球ウミンチュの像(交流記念碑)」を台湾・基隆の和平島につくろうと日台民間協力で進められている。

日清戦争が終結した1895年以降、台湾で日本統治が始まると基隆港の建設や漁業のため沖縄から多くの漁師が移住した。各地に沖縄人集落がつくられ、最大規模で500~600人に達し、地元の漁師にカジキ漁の技術などを伝えたといわれている

発起人のひとりであり友人である許光輝氏は八田與一記念公園開園、八田技師が造った烏山頭水庫の世界遺産登録推進に努力されている。
日本側発起人は沖縄で国際ビジネス会社を経営している石原地江(くにえ)氏
八田記念館開園イベントでお会いしたがアクティブで素敵な方だ、

今年9月完工を目指して建立寄付金の募集を行っている。

多くの方の支援をお願いします。

[趣意書より引用]
なぜこれほどまでに琉球(沖縄)が地元の人々に愛され続けているのか。時代は百年以上も昔、1895年にさかのぼります。
日清戦争の処理として、清国は台湾と周辺諸島を日本へ譲渡しました。
1905年ごろからウミンチュは台湾に渡り、やがて和平島の西南地区に「琉球村」を作ります。その後は沖縄県旧知念村久高島出身の内間長三氏を中心に、当時の先端漁法技術を導入し、基隆海域で漁業を営みました。
1921年ごろになると和平島のウミンチュは500名に達し、地元の長老は当時の様子を「沖縄漁師のお蔭で基隆は栄え、私たちはお互いによい友情関係を保っていた。沖縄漁師の二世と僕らは、兄弟みたいな関係だったよ。」と懐かしげに語ります。
台湾と沖縄の友好関係は、ウミンチュの力によって浸透したと言っても過言ではありません。

雄大な希望と共に大海原を渡り、国際交流のパイオニアとしての気概を持ったウミンチュを称え、互いの歴史文化の接点、共有点としたいのです。お互いが記念像を囲んで経済・文化・学術の交流をすることによって、双方の関係がますます輝かしい発展を遂げると、私たちは信じているのです。

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11月に完成、堂々と和平島に鎮座している。
2012年1月許光輝氏と共に訪れた。(写真は許氏)


慰霊堂は和平島の西南で、入り口の右側。駅から和平島へ行くバスは「101番」(15元)
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2011年05月15日

●八田與一記念公園オープン・逝世69年墓前祭

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八田與一記念公園オープン・逝世69年墓前祭が5月8日行われた。一昨年の墓前祭時に八田技師たちの家屋再現が発表され、今年開園に至った。
烏山頭水庫前から八田與一記念公園前の道路には「八田路」の標識が立っていた。
これまでは珊瑚路だったが、八田技師の功績を後世に残す趣旨のもとに道路名が「八田路」と改まった。
海外で日本人の名前が道路に残されたのはトルコの東郷平八郎の名前をとった「トーゴー通り」以来ではないだろうか。

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公園オープニング式典には台湾総統をはじめ日本からも国会議員、石川県から約300名、一般参加者も日本人100名、台湾人1000名が参加。盛り上がった式典だった。

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ダム工事中八田與一一家が住んでいた官舎も復元された。
午後は毎年恒例の墓前祭が水庫脇で行われた。

台湾100年にあたる今年は八田與一技師の業績を称えてのバレー公演も全土で行われている。さらにTVドラマの製作も発表され実現に向けた準備も進められている。
日本ではずっと埋もれていた八田技師の功績が高く評価されて日本人に知ってもらえるようになったことは嬉しいものだ。

ぜひ、台湾を訪れた際は行ってほしいところだ。

2011年01月22日

●池上一郎博士文庫十周年慶

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1月16日、台湾南部の屏東県竹田郷の「竹田駅園」にある「池上一郎博士文庫」で同文庫設立10 周年、及び池上一郎博士百歳の誕生記念セレモニーが催された。
今回は節目の年であり50名近い日本人を含め160名の参加で賑わった。
池上文庫はアジア最南端の図書館であるとともに台日両国の人たちの交流のプラットホームともなっている。

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文庫前の広場では剣道のデモンストレーションも行われ、10時少しまえから式典が開かれた。来賓挨拶とともに全員での歌唱、二胡演奏が色を添えた。
劉代表からこの十年ご苦労いただいた曾館長のご紹介があり、参加者から苦労を労う拍手があり幕を閉じた。
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文庫前の広場では昼食会。相互の交流が行われ一年ぶりの再会を楽しんだ。

今回はドキュメント映画「台湾人生」のメガホンをとられた酒井充子監督もお越し下さり、映画上映会と質疑応答があり十周年慶最後を飾った。
文庫支援有志で作成した文庫十周年記念日本手拭いが参加者に配られた。

来年も楽しい会での再会を誓い幕を閉じた十周年慶だった

※2012年のイベントは1/14(土)の予定です


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 ↓ 文庫から日本から参加者へのメッセージ
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プレス記事(しばらくするとリンクは無効になる可能性あり)
Radio Taiwan International
聯合新聞網

2010年05月16日

●八田與一技師逝世68年墓前祭

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毎年恒例の八田技師墓前祭が命日の5月8日開催された。
今回は地元水利組合の昼食会にも招かれ多くの方ともお会いできた意義ある墓前祭となった。
前回参加したのは、八田技師のご子息の八田晃夫氏が最期に参加された5年前。今回の参加者は500-600名くらいになるだろうか、これまでにない多くの方々が参加された。もちろん日本からも諸団体のメンバーも駆けつけた。
世界遺産登録推進とあいまって、台湾でも多くの報道がなされた。

八田與一技師逝世68週年追思會在烏山頭水庫
追思八田與一 獻白菊說感謝

台湾では映画化も企画されており楽しみだ。

来年早々には、当時の住まいなども復元されたテーマパークも完成予定だ。
このように日本時代にすばらしい業績を残した日本人がいたことは誇りだ。

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今回は新營から新ルートで烏山頭水庫へでかけた。
バスで六甲まで(25分)行き、そこから徒歩40分。台湾らしい風景を観ながら楽しく歩ける。時間のある方は利用したら面白い。

2010年02月01日

●池上一郎博士文庫九週年

20100201.jpg今年も文庫週年祭には約100名の方々が集った。(リンクは台湾新聞記事のためリンク切れもでる)

毎年来場者には受付で署名をしていただくことになっている。
それも文庫側の希望で毎年日章旗に署名していただく。
今年は日本人参加者から署名拒否者が出た。台湾にある日本人学校の職員だ。
文庫関係者が嘆いたのは言うまでもない。

大変残念なことがあったが、多くの方々が一年ぶりの再会を喜びあい、童謡を歌ったりする輪もあちらこちらでできた。

来年は十週(周)年、日本側も何か企画したいと考えている。

2010年01月04日

●池上一郎博士文庫九週年のご案内

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2009年03月03日

●池上一郎博士文庫八週年(2009/1/10)

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今年も池上一郎博士文庫週(周)年紀念祭が台湾・屏東縣竹田驛園で開かれた。
今年は設立八年。
残念ながら今回は欠席となった。

同窓会のように皆さんは楽しまれたとのこと・・・・ 来年は池上一郎博士の誕生日である1/16の予定だ。

2008年02月03日

●アセアンパス

Asean-Icon_AD-plane.gifVISIT ASEAN PASS という航空券がある。
何年か前に発売されたが、毎年更新されているチケットだ。2008年も引き続き売られている。

アセアン諸国内 (*1) の国際線および国内線 (*2)で使える周遊チケット。
 (*1) ブルネイ・カンボジア・インドネシア・ラオス・マレーシア・ミャンマー・フィリピン・シンガポール・タイ・ベトナム
 (*2) 但し、ミャンマー・ラオス・ベトナムの国内線は適用不可

下記航空会社のフライトを使って日本から周遊できるチケットだ。
ロイヤルブルネイ航空 (BI)  ラオス航空 (QV)  ガルーダインドネシア航空 (GA)  マレーシア航空 (MH)  シルクエアー (MI)  フィィリピン航空 (PR) シンガポール航空 (SQ)  タイ航空 (TG) ベトナム航空 (VN)  ミャンマー航空 (8M) 

日本-シンガポール-バンコク-ホーチミン-マニラ-日本 なんてルートも可能だ。 

周遊する区間によって価格は異なるが、概ね42,000円-75,000円くらいで廻れる。最長一ヶ月間であるが魅力的なチケットだ。

発券・問合せは各参加航空会社まで。


2008年01月19日

●池上一郎博士文庫七週年(2008/1/12)

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080112-2.jpg今年も博士文庫週(周)年紀念祭が台湾・屏東縣で開かれた。
今年は設立七年。
これまでは池上氏の誕生日1月16日に開かれていたが、今年から16日前の直近の土曜日。
しかし、この日は台湾立法院選挙日となり遠方の方の参加はほとんどなかった。
遠く竹東から参加の方は選挙投票のため午前中には帰られることも。
(台湾には期日前投票制度がない)
日本からもいつものメンバーに加えて10人が参加。
合計100名近くの方々がおみえになり楽しい記念祭となった。
式典のあとは記念撮影、広場での昼食会。
広場では日本の童謡をはじめ唱歌が合唱されるなどで楽しんだ。

2009年は1月10日(土)の予定。
新たな人の輪が広がり、日台友好に寄与できれば嬉しい。

※当日の画像を ryoyutaiwan(Sumi)さん 【http://ryoyutaiwan.seesaa.net/】から提供いただきました。
wmv形式flv形式があります。

YouTube で動画配信中


2007年10月10日

●池上一郎博士文庫七週年紀念祭のご案内

【案内】池上一郎博士文庫七週年紀念祭

池上一郎博士文庫七週年紀念祭が2008年1月12日(土)に台湾・屏東縣竹田驛園で開かれます。

池上一郎博士は台湾の日本時代に竹田にあった野戦病院院長に派遣されていましたが、軍隊兵士に加え村人たちの治療も行った方で、戦後は日本において台湾からの留学生を支援するとともに、晩年は第二のふるさとである竹田に対し書籍や奨学金寄付を行いました。

地域住民からは大変尊敬され、台湾政府文建会によって竹田駅公園内に、池上一郎博士文庫が2001年1月16日に完成しました。
これまで毎年1月16日に紀念祭が行われていましたが、より幅広く多くの方々が参加しやすいよう、今年から1月16日直近の土曜日に開催することになりました。

どうぞ多くの方々のご参加をお待ちしています。(予約は不要です)。

開催:2008年1月12日(土)9時30分~昼食後解散
(当日は立法院選挙があるため10時開始に変更となりました)
場所:竹田驛園(高雄から各駅停車の電車で約60分)
    [参考]高雄発08:10枋寮行き竹田下車(09:08着)
        高雄発09:00枋寮行き竹田下車(09:58着)
問合せ:台湾:池上一郎博士文庫 TEL (08)7711647  月曜日休館、土日は午前中
    日本:http://www.a-eda.net/cgi/mail/mail.html (枝)

池上一郎博士文庫関連サイト: http://www.a-eda.net/asia/ikegami.html
  (これまでの紀念祭についての記事も掲載されています)

昨年の様子は、こちらのエントリーをご覧下さい。

2007年06月09日

●李登輝閣下来日万歳

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5月30日閣下が来日、奥の細道を歩かれ6月6日東京に戻られた。
翌7日午前には靖国神社に参拝され祀られている実兄の冥福を祈った。
夕方から行われた講演会、歓迎レセプションには1400名が参加し閣下の来日を祝福した。

9日朝帰国を前にした会見で李先生は、中国外務省が不満を表明していることに関して「中国やコリア(韓国、北朝鮮)が(靖国問題を)歴史、政治問題として取り上げるのは、(国内問題を)自国内処理できないためだ」と指摘、その上で「批判される理由はなく、(戦争で)亡くなった若い人を祀ることは、当たり前のことだ」と激しい口調で訴えた。
この一言がすべてを語っており日本も主張すべき一言だ。

9日夕刻成田空港から帰国の途につかれた。

詳細は拙ブログ「千点写行」および産経新聞記事の一部を参照いただきたい。

2007年05月20日

●台湾の大地を潤した男

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日本時代に台湾南部を一大穀倉地帯に変えた水庫の完成に半生をかけたた八田與一技師を描く芝居公演が行われる。
劇団昴による『台湾の大地を潤した男~の生涯~』だ。
今のところ下記5公演が公表されている。
海外で大活躍した日本人、八田技師のことを公演を通じて多くの方に知ってもらいたいものだ。
■公演日程
 6月12日(火)・13日(水) 小松市公会堂
 6月15日(金) 七尾市サンライフ・プラザ
 6月20日(水)・21日(木) 金沢市文化ホール
 6月24日(日)・25日(月)・26日(火) 金沢市厚生年金会館
 6月28日(木) 調布市グリーンホール
■問合せ
 TEL:03-6907-9220 劇団昴宛(平日10時~19時)
 FAX:03-6907-9230 劇団昴宛(24時間常時受付)
 Eメール:ticket@theatercompany-subaru.com
(5/27公演チラシ画像追加)

2007年02月18日

●竹島の日

2月22日は「」です。
竹島プロジェクト2007 に参加しています。

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(画像はBlog「記録書庫」さんから提供いただきました)

2007年01月22日

●池上一郎博士文庫六週年(2007/1/16)

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今年も池上一郎博士文庫週(周)年紀念祭が氏の誕生日にあわせ、台湾・屏東縣竹田驛園で開かれた。
今年は設立六年。

看板がもうひとつ増えた。
研究学会としての団体として認可されたらからだ。
文化交流の基盤として文庫が発展できるチャンスも増えた。

070116-2.jpg理事長には劉耀祖代表が就任(写真右)。
元英語教師である劉氏の誠実さと館長の曾貴珍女史(写真下)の人柄に魅せられる図書館だ。

幸い蔵書も増加、文庫の収容能力の関係で日本から送る書籍も現在ストップしている。

増築も検討課題となっている。

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式典は例年通り「新年の歌」を合唱してのスタートとなった。

今回の司会は高雄在住の日本人N小姐。台湾人と結婚し現在高雄の大学で勉強中、しかも剣道四段の才女。式典前の剣道のデモンストレーションでは審判役も務めた。

書籍送付窓口として活躍されている東京大学S先生のご挨拶、筆者の祝辞、参加者のご挨拶が続き、文庫前の庭園で記念写真撮影、そして台湾南部の客家料理の昼食会と和やかに会が進められた。

一年ぶりの再会を互いに喜び合う同窓会のような会合だ。
次世代につなぐべき若い世代の方も大阪、静岡から参加、台湾在住の日本人も台北や高雄から多数が参加した。

毎年1月16日に行われていた会合は、理事会での提案により来年からは直前の土曜日開催にして参加者を増やすことになり、研究学会として新しいスタートとなりそうだ。

来年2008年1月12日(土)の再会を約束して、三々五々の解散となった。

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文庫に関するお問い合わせはこちらからどうぞお願いします。また、文庫全般いついてはホームページ「ILoveASIA・池上一郎博士文庫」をご参照ください。


2006年11月11日

●八田技師記念碑の除幕式

hatta061105_1.jpg八田技師の生誕120年を記念し、金沢の生家で記念碑の除幕式が行われた。

大正から昭和初めにかけ、台湾南部に大規模なダムと水路を建設した金沢市出身の技師八田與一氏(1886-1942)の生誕百二十年を記念する石碑が同市今町の生家の庭に完成し、11月5日、家族や関係者らが除幕式を行って偉業を偲んだ。 

生誕地碑は、地元有志でつくる「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(中川外司事務局長)が建立。除幕式には地元住民らも出席し、山出保市長は「台湾との友好、世界平和に寄与した功績は計り知れない」とたたえた。

hatta061105_2.jpgまた来賓として出席された台湾代表の許世諧先生(写真左)は、日台の更なる友情と共に未来志向のお話をされ、台湾から来日した嘉南農田水利会の徐金錫会長(写真下)も、「碑の完成を機にさらに交流を深めていきたい。こうした懸け橋がこれからも私たちの心に深く深く残っていくと思う」と語った。

生誕120年にちなんで金沢では記念展が開催されている。
機会があればぜひ行かれることをお奨めする。

金沢市下本多町「市立ふるさと偉人館」(076・220・2474)
「生誕120年記念 八田與一展」を開催中。来年2月25日まで。八田技師の遺品や、烏山頭ダム建設当時の写真資料などを公開。入館料300円、高校生以下無料。

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<写真提供:金沢市 marichan氏>

2006年05月25日

●八田技師生誕120年 -2

今年は技師生誕120年にあたる。
今年も八田技師の命日である5月8日に、台湾南部の都市台南市からバスで一時間の烏山頭水庫(ダム)の畔で墓前祭が行なわれた。(昨年は筆者も参加し拙ブログで報告

参列者は八田技師の故郷である金沢の「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」のメンバーに八田氏を追悼するために渡台してきた日本人、台湾在住の日本人に台湾人を加え200人余りとなった。

その様子は大陸系も含む台湾各紙で大きく取り上げられた。日本国内では、連載記事を含めて八田技師の地元の「北国新聞」で報道された。
「北国新聞」の記事では、墓前祭に加えて奇美グループを率いる許文龍氏訪問、台北日本人学校訪問も紹介している。
以下見出しのみ記載しておく。

・八田技師生誕120年ダムの恩人偉業たたえ墓前祭に住民200人

・「戦前の偉人正当評価を」八田技師夫妻友好の会と交款
~実業家許氏が強調、バイオリンで軍艦マーチも

・「舞台劇、協力したい」雲林農田水利会を表敬

・受け継がれる技師の足跡 ~ 「八田夫妻友好の会」台湾訪問

・政争離れ功績顕著 ~ 反日的大陸系新聞も報道

・異郷で郷里の先人知る ~ 娘からの「ひと言」がきっけ

・絆を深める第一歩に 長男晃夫さん「台湾が故郷」


「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」の一行は11日に帰国した。
ご長男の八田晃夫氏(85)も今回が最後の渡台になることを知っていたようだ。10日後の5月20日安らかに永眠となった。

異国で活躍した日本がいたことを、多くの日本人に知って欲しいものだ。

なお八田技師について数年前にホームページにまとめたもの があるので、併せて参照頂ければ嬉しい。

2006年05月20日

●八田晃夫氏ご逝去

hatta05_3s_a.jpg八田與一氏ご長男の八田晃夫氏が、5月20日朝8時36分にお亡くなりになりました。
昨年の八田與一墓前祭でお会いしたが、今年の5月8日の墓前祭にも愛知から渡台、参加されたそうです。
10日には、台北の日本人学校で子供さん達に「将来の日本と台湾の架け橋になって欲しい」と熱心に訴えられていたとの事です。
享年85歳でした。

心からご冥福をお祈り申上げます。 合掌

(写真=墓前祭に出席する八田與一氏の長男・晃夫氏と綾子夫人)

[追記=2006/5/21=]
一行の墓前祭をアレンジされたtokusanからTBいただいてます。あわせてご参照下さい。(墓前祭についての詳細のエントリーも期待したい。)


[追記=2006/5/21=]
台湾週報によると、八田氏の功績をより多くの人に知ってもらおうと、このほど志ある人々の奔走のもと、その生涯を描いた舞台劇が制作されることが決まったそうだ。

日本の「現代演劇協会」事務局長を務める杉本了三氏によれば、この劇は台湾と日本の役者が共同で出演し、来年2月に日本で初公演、同5月には台湾で公演する予定であり「台湾で現代化に尽くした八田氏の生き様をみてもらいたい」と意欲を語った。

2006年05月09日

●八田技師生誕120年

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昨年の5月8日は技師墓前祭に参加してきたが、あれから一年、今年は生誕120年として墓前祭が行われた。北國新聞が今日9日にその様子を報道した。以下にその内容を引用する。

[追記](2006/05/10)八田與一の生涯を描いたTVドラマがこの5/8スタートする予定でしたが、これまで何の発表もなかったため、台北に住む友人に調べてもらったところ、断片的ながら以下のような状況。
[2005年5月25日報道] 八田與一の妻の役をする予定だった松田聖子は、娘と不和のため悩み多き。撮影で3ヶ月も台湾にいることができず、テレビ局にお断りしたようだ。
[2006年2月24日報道] 撮影は継続中で、江霞社長が退任する前に力を入れていた「水色嘉南」は撮影中、日本の芸者役の李淑禎に嫉妬する重大な役をこなす寥家儀さんは、スタイル保持のためベジタリアンになったそうだ。また芸者役の李さんは眉をそったため、一歳のお嬢さんが怖がったとのこと。

今ひとつわからないが松田聖子が降板したことは明確になった。

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ダムの恩人の偉業たたえ 八田技師生誕120年、台湾で墓前祭
  金沢の友好の会、住民ら参列
 
【台南8日宮下岳丈本社記者】台湾を訪問中の「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(金沢市)は八日、同市出身の八田與一技師が築いた台南市郊外の烏山頭(うざんとう)ダムで同技師と外代樹夫人の墓前祭に臨んだ。技師の生誕百二十年に当たる節目の年とあって、付近の住民や行政関係者ら約二百人が参列し、日本統治時代に台湾南部の荒野を緑の農地に変えた恩人の功績に思いをはせた。  墓前祭に参加する「友好の会」の一行には、八田技師を慕う日本人参加者が次々と合流。七十人近くに達し、日本での八田技師夫妻への関心の高まりをうかがわせた。乾期に当たる五月上旬としては珍しく、小雨となり、日本からの一行は「八田技師の涙雨ではないか」と語り、台湾の住民は「作物が実るよう、八田先生が天から雨を降らせてくださった」と述べ、それぞれ故人をしのんだ。烏山頭ダムを管理する嘉南農田水利会の徐金錫会長をはじめ、地元の行政関係者、「友好の会」の一行が次々と焼香し、墓前に果物などの供物をささげた。  墓前祭に先立ってダム付近のホテルで技師の生誕百二十年を記念する講演会が開かれ、地元の農業関係者や行政関係者らが「八田先生の精神を学びついでいこう」と呼び掛けた。席上、八田技師夫妻をテーマにした舞台劇「水のフォルモーサ・台湾八田與一の生涯」の脚本が完成したことが紹介されると、会場はひときわ大きな拍手に包まれた。講演会に参加した蘇煥智・台南県長(知事)は講演会後の取材に対し、「(舞台劇が)台南で公演することがあれば、協力を惜しまない」と述べ、舞台公演への期待をこめた。この日は嘉南農田水利会による生誕百二十年記念パーティー、音楽会も開かれた。  「友好の会」一行は九日、一昨年八田技師の銅像を金沢市に寄付した実業家、許文龍氏を訪ねる。
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2006年05月07日

●池上文庫に鯉のぼり

ikegami0604_mk.jpg

真夏を思わせる暑い4月下旬、台湾・竹田村にある博士文庫に「鯉のぼり」が届けられた。
高雄に駐在していたころから文庫をサポートしてくれていたK氏が、帰国後久しぶりの台湾訪問にあわせ持っていったお土産だ。
幸い文庫を守る劉さんほか、いつもの面々とおあいできたそうだ。
今頃既に暑い夏の風にのって泳いでいることだろう。、
池上文庫は、こうしてときどき支援する日本人が、休暇にあわせて訪問してくれるすばらしい場所なのだ。そして日本語世代の先輩に会える楽しみの場所だ。
つい4ヶ月前にお会いした方々なのに懐かしく思えた。
今度会えるのはいつになるだろう・・・・。
(画像提供:K氏)

2006年05月05日

●タイフェスティバル

thaifoodfes2006.jpg今年もが東京・代々木公園で開かれる。
7回目となる「タイフェスティバル 2006」 では、数々のイベントが予定されており、タイに浸るには最高のイベントだ。タイ王国大使館が全面的にサポートしている。

たくさんのタイフードブースもあり、タイの食べ物はほぼ網羅しており、お花見気分で楽しむことができる。

昨年はタイの大御所ミュージシャンであるカラバオのライブもあり、途中で大雨が降ったにもかかわらず、ノリノリのライブになった。
タイ好きの方には絶対にお奨めの大イベントである。
○日時: 2006年5月13日(土)- 14日(日) 10:00 ~ 20:00
○場所:東京都代々木公園イベント広場+ケヤキ並木 (入場無料)

なお、今年は名古屋でも開催されるので、中部・関西の方にも楽しんでもらえそうだ。
□2006年5月27日 ( 土 )11:00-21:00 - 28日 ( 日 )10:00-20:00 ※ 2 日間
□名古屋市中区栄 3 丁目 65 番地久屋広場

(本エントリーは「何でも書き書き;;;」にもアップしました)

2006年04月16日

●中国茶

chinese_tea1.jpg

chinese_tea2.jpgが人気である。都会にも専門店が増え、ネット通販も一気に増加している。
台湾では1980年代から「茶藝舘」が増えはじめ、優雅なときをお茶で楽しむことができるようになってきた。
中国の工芸茶として人気の「七仙女」を大阪の中国茶館「ゆるり」のオーナーからいただいた。

ジャスミンの花を七人の仙女に見立てた美しい工芸茶。お湯をたっぷり含んだジャスミンが、ふっくらとほどけてゆく様子は、たおやかに天空を舞う仙女のように優雅なパフォーマンスを見せてくれる。そしてジャスミンのほのかな香りと甘さが口いっぱいに広がる。

中国茶の種類はたくさんあり、高級なものは日本茶の比ではない価格がつけられる。
いろいろ楽しめるのがアジアのお茶だ。

2006年03月24日

●お知らせ

いつもお寄りいただきありがとうございます。

トラックバックをいただいたりコメントをさせていただいた方には、livedoorからの移設後再びご迷惑をおかけします。

このたびブログ運用を少しでも容易にし、将来的にも安定したブログ設計ができるよう考慮して、サイトのphp化を行ないました。このため個別エントリーURLやアーカイブURLが変わりました。
自動的に新しいURLに移る仕組みを作っていたのですが、うまくいかず結果的にはご迷惑をかけることになりました。
何卒ご理解をいただき、引き続きお寄りいただければ幸いでございます。

(なお本エントリーは適切な時期に削除する予定です)

2006年03月21日

●消えた父を探して

ikegami5y7.jpg池上一郎博士文庫創立5周年紀念祭に来られていた阮美[女へんに朱](げん・みす)さん(78)が、『台湾二二八の真実 消えた父を探して』、『漫画 台湾二二八事件』(いずれもまどか出版)を日本で出版した。

について知る日本人は少ないが、台湾の歴史においては重要な出来事として位置づけられている。

日本時代が終わりまもなく起こった国民党による台湾人粛清の出来事であり、初期には日本人が仕組んだものという噂も流れたそうだ。

阮さんの父親は、二二八事件の被害者であった。
(げん・ちょうじつ)氏は当時、台湾人の有力新聞「台湾新生報」の社長を務めていたが、事件発生数日後に官憲により自宅から連行されたまま行方知れずとなった。
父を深く愛していた阮さんは、衝撃と深い悲しみの中、それ以後の人生を父親の行方探しと二二八事件の真実追及に費やしたのだ。

阮さんの父親探しの旅は、九七年二月、事件からちょうど五十年後に大きなピリオドを打つ。
事件当時、警備司令部の運転手だったという老人が訪ねてきて、阮朝日氏ら三人を車で台北市郊外の山に運び、そこで銃殺される現場を目撃したと告げたのだった。

二二八事件の責任者は、長らく当時の台湾省行政長官、陳儀(ちんぎ)とされていたが、陳水扁・民進党政権下の総統府国史館は2月、ついに「最大の責任者は蒋介石」とする報告書を発表した。

台湾民主化後の97年に台北市の総統府近くにできた「二二八記念館」には、手のひらと足を針金で通され数珠つなぎにされた犠牲者たちが、国民党軍により背後から銃撃され、基隆川に落とされる衝撃的なシーンが絵と写真で紹介されているが、その事件で奇跡的に助かった犠牲者の一人を探し出し、生々しい証言を得たのも阮さんだった。
阮さんは台湾南部に私設「二二八記念館」をつくり、歴史を後世に伝える努力をされている。
また他の被害者の家族も私設記念館をつくり頑張っておられる。

二二八事件は、近年日本でも紹介されることが多い。
台湾現代史でもある(さい・こんさん)著『台湾人と日本精神 日本人よ胸を張りなさい』(小学館文庫)には、時代背景とともに詳しく書かれている。

阮さんは、「父が戦前、日本で学んだことに始まる日本との深い因縁、二二八事件で連行された父の連行後の記録の一部を初めて発見したのが日本だったこと、なにより、日本の方々に二二八事件の真実とその意味を知っていただきたかったからです」と日本での出版の理由を話している。

さらに「台湾人はもとより、台湾を五十年余り統治した日本人も戦後台湾でおきた惨劇を知ることで、公正な歴史認識を持ち、自分たちのアイデンティティーを確認し、民族間の和解も可能になるのでは」

全くその通りだ。

我々も先人が日本時代をどう台湾と関わったのか、どう生きたのかを知ることは、日本のアジアにおける歴史を正しく見つめなおすいいキッカケになるのではないだろうか。

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