●さくら

日本の象徴「さくら」が満開である。
庶民によるお花見の風習は江戸時代に始まったようだ。徳川吉宗が桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。
当時の東京の花見の名所には愛宕山 (港区)。落語『長屋の花見』や『あたま山』が有名だ。
日本さくら名所100選、お花見情報サイトで桜情報は完璧に入手できる。

日本の象徴「さくら」が満開である。
庶民によるお花見の風習は江戸時代に始まったようだ。徳川吉宗が桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。
当時の東京の花見の名所には愛宕山 (港区)。落語『長屋の花見』や『あたま山』が有名だ。
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いろりといえば民家の象徴として主に暖房・調理目的に用いられてきた。囲炉裏(居炉裏)とも表記される。
都会では規模はまったく小さなものだが、茶室の火の座としてかろうじて存在しているといっていい。
暖房・調理目的以外に照明、火種、乾燥、家族のコミュニティ・スペースの役もあった。また、防虫・防水を高め家屋の耐久性にも寄与したようだ。
残したい風景の一つだが都会ではもう無理なようだ。
(2007/4/21)新潟県関川村 重要文化財 渡邉邸 にて撮影

せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ・・・春の七種だ。
この七種の野菜を刻んで入れた七種粥(七草粥)は、邪気を払い万病を除く占いとして平安時代から食べたそうだ。さらに御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
実に理にかなった食の文化だ。
正月最初の子(ね)の日に野原に出て若菜を摘む風習があったらしい。
『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。

鳥居(とりい)は、神社などにおいて、神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。御陵や寺院に建てられていることもあるが、一般的には神社を象徴するものだ。
平安神宮大鳥居は高さ24.4mの日本最大級の鳥居。 主祭神は、桓武天皇、孝明天皇だ。
創建は、明治28年(1895年) 、年例祭は4月15日で多くの人で賑わう。
神社といえば、一人ひとりにとって「初詣」が最もつながりが深い。
ちなみに2006年の初詣者数上位10社寺は以下の通りだ。そして驚くのは何と初詣参拝者総計は9373万人にもなるということだ。
それだけ神社は日本人の心に入っているものなのだ。
明治神宮 305万人 / 成田山新勝寺 275万人 / 川崎大師 272万人 / 伏見稲荷大社 269万人 / 熱田神宮 232万人 / 住吉大社 226万人 / 浅草寺 220万人 / 鶴岡八幡宮 213万人 / 太宰府天満宮 193万人 / 氷川神社 187万人

城といえば日本では、古代の環濠集落から近世の石垣と天守の城まで多様である。幕末の台場や砲台も、城に含めることがある。曲輪のある陣は「城」といえるだろう。
現在、江戸時代以前の天守が現存するのは、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松山城 (備中国)、松江城、丸亀城、松山城 (伊予国)、宇和島城、高知城の12のみである。
特に姫路城は「世界遺産」に登録されている。
また、広大な敷地と城にまつわる数々の話は興味をそそる。
そんなことを思いながら城内を散歩するのは楽しいものだ。


七月七日には誰もが願い事を書いた短冊を笹竹に飾った思い出があるだろう。
五節句の一つである七夕は、彦星と織姫が一年に一度だけ天の川で逢瀬を楽しむ、というロマンチックな話で知られている。
日本では古くから伝わる七夕にまつわる信仰がある。それは‘棚機(たなばた)’という布を織る機械に由来するもので、お盆にけがれを知らない棚機津女(たなばたつめ=布を織る女性)が機屋にこもって神を迎えて祭り、お盆の終わりには人々のけがれを神に持ち去ってもらうという行事だ。
これが旧暦の七月七日に行われたと伝えられ、これらが習合して七夕となり、江戸時代には民間にも広がったそうだ。

日本の話芸の代表といえば「落語」。日本の話芸の成立を考えるとき「説話文学(昔話・民話を含む)」「咄職(咄のもの)」「説教(仏教の布教)」の三系列があるそうだ。落語の源流はどれにもあたるらしい。
詳細は歴史書等に譲るが、ジャンルとしては東京落語、上方落語に分けられ、いろいろなしきたりも異なるようだ。
上方落語は会社組織のなかで存在するのが特徴だが、東京は師弟制度のなかだけで動いている。
歴史的な出来事も経て4団体(落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流)で構成されている。
定席といわれている寄席は、上野・鈴本演芸場、新宿・末廣亭、池袋演芸場、浅草演芸ホールがあり一年中楽しむことができる。
落語の原点は"人情噺"であり、日本の「こころ」の原点だ。
芸道には“きびしさ”がある。落語に魅力があるのは内容の面白さよりも演者の力にある芸道修行の“きびしさ”の裏づけではないか。それが「話芸」となって顕在化するのだろう。
(写真=柳家喬太郎師匠・関東学院大学生涯学習講座)