●かっぽれ

かっぽれといえば昭和30,40年代活躍した四代目櫻川びん助師匠を思い出す。
寄席演芸の演目として、また座敷芸にもとりいれられ日本伝統芸として不動の地位を得た。
伝承に努める梅后流「江戸芸かっぽれ」。
いでたちは、浴衣に角帯、たすきに手ぬぐい、すててこに白足袋。
伝承されるべき伝統芸のひとつだ。

かっぽれといえば昭和30,40年代活躍した四代目櫻川びん助師匠を思い出す。
寄席演芸の演目として、また座敷芸にもとりいれられ日本伝統芸として不動の地位を得た。
伝承に努める梅后流「江戸芸かっぽれ」。
いでたちは、浴衣に角帯、たすきに手ぬぐい、すててこに白足袋。
伝承されるべき伝統芸のひとつだ。
瞽女(ごぜ)とは、三味線を携えて村々を旅し、語り物・流行唄・民謡などを歌い歩いた盲目の女性を中心とした女旅芸人のことだ。370年以上の伝統を持つといわれ、室町時代に鼓を打ちつつ曽我物語などを語る盲女がいたことが始まりではないかといわれている。
その後、沖縄から三味線が伝わり盲目の琵琶法師たちによって改良され普及し始めると、彼女達はいち早くそれを取り入れ盲目の女性だけの芸能集団を作り上げた。
近世に入り、城下町を中心に諸国で地域的なまとまりのあるごぜの自治集団が形成されていく。江戸期には全国的にごぜの姿を見ることができた。やがて、いく度もの繁栄と衰退を繰り返し明治以降に衰退の一途を辿る。それでも越後地方においては昭和の時代まで栄え、昭和52年にごぜが最後の活動を終えるまで続いた。
新潟では長岡市と高田市を中心に数多くのごぜ組があった。明治20年代には長岡組が400人近く、明治34年に高田組が97人のごぜを擁していた。
ごぜ唄はごぜが歌う唄で、民衆の要望やその頃の流行を多く取り入れていた。そのため流派や時代によって大きく変化した。ごぜ専用の唄ということではなくて、昔から伝わる民謡や物語などをごぜ節で歌った唄といえる。種類は近世において次のものであった。
「祭文松坂(段物)・口説・門付け唄・端唄・長唄・常磐津・清元・新内都々逸・義太夫さわり・三河万歳・春駒・民謡・流行唄」
そしてごぜさんの表看板に揚げられていたのが、「段物」と「口説」であった。
すでにごぜ唄は消滅しかかっているが、何とか保存・継承を進めている団体もある。
また、最後のごぜさんと言われた小林ハルさんに(左写真=101歳時)師事した萱森直子さん は、ごぜ唄を後世へ残していくための活動を精力的に行っている第一人者である。
今年もハルさんのご命日(4月25日)をまえにした22日、ハルさんが暮らしていた恩あるゆかりの土地である新潟県出湯温泉でコンサートが行われる。
※ごぜさん、ごぜ唄に関するブログはこちらです。