2017年01月06日

●夕暮れの富士

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by EOS Kiss X7i with EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM
忍野村 二十曲峠 2017.1.5

2016年05月17日

●原風景

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日本の原風景 田植え直前の棚田(十日町市・星峠の棚田)
by EOS Kiss X7i with EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM

2016年04月10日

●総帆展帆

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帆船日本丸(みなとみらい)
by EOS Kiss X7i with EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM


2016年04月06日

●忍野八海からの富士

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忍野八海・資料館
by iPhone6 plus

2016年04月04日

●桜満開

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by EOS Kiss X7i with EF-S55-250mm F4-5.6 IS STM
恩田川/町田市

2016年03月10日

●春の風

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by EOS Kiss X7i with EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM

2016年03月03日

●ひなまつり

3月3日はひなまつり。
神奈川県開成町ではつるし雛や全国から集めた雛人形を古民家、資料館に展示するイベントが毎年この時期に行われている。
雛人形の歴史、東西の違いなどがわかる楽しいイベントだ。

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2015年12月19日

●初冬

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乙女峠

2015年08月02日

●富士に飛ぶ

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神奈川県・荒崎海岸
(C)SASAKI

2015年07月28日

●赤富士

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山中湖マリモ通り
EOS Kiss X7i with EF-S18-55mmF3.5-5.6 IS STM
2015.7.22 04:52


2015年04月20日

●朝霧高原

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2015年02月11日

●国宝 松本城

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安土桃山時代末期-江戸時代初期に建造された天守は国宝に指定され、城跡は国の史跡に指定されている。
2015.2.6

●※再開※

しばらく休止していましたが少しずつ再開いたします。
今後ともよろしくお願いいたします。

2010年04月07日

●上空からの富士

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(2010/03/27航空機より)
(C)KIMATA

2008年05月06日

●かっぽれ

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かっぽれといえば昭和30,40年代活躍した四代目櫻川びん助師匠を思い出す。
寄席演芸の演目として、また座敷芸にもとりいれられ日本伝統芸として不動の地位を得た。

伝承に努める梅后流「江戸芸かっぽれ」

いでたちは、浴衣に角帯、たすきに手ぬぐい、すててこに白足袋。
伝承されるべき伝統芸のひとつだ。


2008年04月01日

●さくら

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日本の象徴「さくら」が満開である。
庶民によるお花見の風習は江戸時代に始まったようだ。徳川吉宗が桜を植えさせ、花見を奨励してからだといわれている。
当時の東京の花見の名所には愛宕山 (港区)。落語『長屋の花見』や『あたま山』が有名だ。

日本さくら名所100選お花見情報サイトで桜情報は完璧に入手できる。


2008年02月29日

●雲見温泉から

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(2008/02/26伊豆国道136号線雲見温泉)
(C)YAMAKO

2007年12月22日

●三味線

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和楽器の代表である三味線。三弦、三線(さんしん)ともいう。
「三味線を弾く」というと相手を惑わすことの意味だが、マージャンではつき物だ。そのくらいしか付き合いがなかった三味線だが、今年は三味線とのお付き合いが大イベントにつながった。
4/8のエントリーでごぜさんについて触れたが、年末12/14-16に公演「ごぜ唄が聞こえる」の開催となった。
ごぜ唄と三味線はつきもの。三味線の響きの良さに触れたイベントだった。

日本音楽ではなんといっても笛、太鼓、鈴、そして三味線が代表格だろう。

2007年04月30日

●いろり

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いろりといえば民家の象徴として主に暖房・調理目的に用いられてきた。囲炉裏(居炉裏)とも表記される。
都会では規模はまったく小さなものだが、茶室の火の座としてかろうじて存在しているといっていい。
暖房・調理目的以外に照明、火種、乾燥、家族のコミュニティ・スペースの役もあった。また、防虫・防水を高め家屋の耐久性にも寄与したようだ。

残したい風景の一つだが都会ではもう無理なようだ。

(2007/4/21)新潟県関川村 重要文化財 渡邉邸 にて撮影

2007年04月08日

●ごぜさん

goze_tabi.gif瞽女(ごぜ)とは、三味線を携えて村々を旅し、語り物・流行唄・民謡などを歌い歩いた盲目の女性を中心とした女旅芸人のことだ。370年以上の伝統を持つといわれ、室町時代に鼓を打ちつつ曽我物語などを語る盲女がいたことが始まりではないかといわれている。

その後、沖縄から三味線が伝わり盲目の琵琶法師たちによって改良され普及し始めると、彼女達はいち早くそれを取り入れ盲目の女性だけの芸能集団を作り上げた。

近世に入り、城下町を中心に諸国で地域的なまとまりのあるの自治集団が形成されていく。江戸期には全国的にごぜの姿を見ることができた。やがて、いく度もの繁栄と衰退を繰り返し明治以降に衰退の一途を辿る。それでも越後地方においては昭和の時代まで栄え、昭和52年にごぜが最後の活動を終えるまで続いた。
新潟では長岡市と高田市を中心に数多くのごぜ組があった。明治20年代には長岡組が400人近く、明治34年に高田組が97人のごぜを擁していた。


ごぜ唄はごぜが歌う唄で、民衆の要望やその頃の流行を多く取り入れていた。そのため流派や時代によって大きく変化した。ごぜ専用の唄ということではなくて、昔から伝わる民謡や物語などをごぜ節で歌った唄といえる。種類は近世において次のものであった。
 「祭文松坂(段物)・口説・門付け唄・端唄・長唄・常磐津・清元・新内都々逸・義太夫さわり・三河万歳・春駒・民謡・流行唄」
そしてごぜさんの表看板に揚げられていたのが、「段物」と「口説」であった。

goze_haru101.gifすでにごぜ唄は消滅しかかっているが、何とか保存・継承を進めている団体もある。

また、最後のごぜさんと言われた小林ハルさんに(左写真=101歳時)師事した萱森直子さん は、ごぜ唄を後世へ残していくための活動を精力的に行っている第一人者である。
今年もハルさんのご命日(4月25日)をまえにした22日、ハルさんが暮らしていた恩あるゆかりの土地である新潟県出湯温泉でコンサートが行われる。

※ごぜさん、ごぜ唄に関するブログはこちらです。

2007年03月24日

●東名高速からの眺め

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(2007/03/06東名高速道路富士川)
(C)Atsushi Eda

2007年02月17日

●日本地図

070217.jpgなかなか立派な日本地図が発売されている。
出版社の宣伝マンではないが・・・・・。

単なる地図だけでなく、いろいろな角度から日本を地理的に紹介しているものである。
大きさも新聞一頁大であり豪華だ。

29,000円とこの類としては高価な本だが、見ごたえはタップリあり楽しめる。
「見て、読んで、楽しむ」地図という表現にふさわしいだろう。

2007年01月07日

●七草粥

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せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ・・・春の七種だ。

この七種の野菜を刻んで入れた七種粥()は、邪気を払い万病を除く占いとして平安時代から食べたそうだ。さらに御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もある。
実に理にかなった食の文化だ。

正月最初の子(ね)の日に野原に出て若菜を摘む風習があったらしい。
『枕草子』にも、「七日の若菜を人の六日にもて騒ぎ……」とある。


2007年01月01日

●おせち料理

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黒豆、かまぼこ、紅白なます、田作り、栗きんとん … 、日本の伝統食「」だ。
おせち料理は、江戸の粋やユーモアを凝縮した庶民文化から開花したものだが、宮中のしきたりが民間に広まったもの。

おせち料理として用意されるものにはそれぞれ意味がある。
黒豆は、「まめ(健康)に暮らせるように」、数の子は「子孫繁栄」、田作りは「豊年豊作祈願」、昆布は「よろこぶ」。
錦たまご(ニシキタマゴ)には、卵の白味と黄味をわけて、ニ色でつくった料理の二色(ニシキ)とおめでたく豪華な錦との語呂合わせからきているそうだ。
紅白かまぼこは江戸時代に祝儀用としてかかせないものになりおめでたい彩りから、栗金団(クリキントンの「金団」とは黄金の団子という意味であり見た目の“黄金”の色合いが豪華に見える様子から、それぞれおせちの定番になった。

家族や親戚でワイワイと語り合いながら、みんなで食べるのが、おせち料理の本来の形だ。

我が家のおせちはシンプルだが、新たな年を祝う心、家族の息災や繁栄を祈る心を込めながら食している。

2006年10月01日

●2006/9/30本栖湖から

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(2006/09/30本栖湖)

(C)Atsushi Eda

2006年09月18日

●鳥居

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鳥居(とりい)は、神社などにおいて、神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示すもの。一種の「門」である。御陵や寺院に建てられていることもあるが、一般的には神社を象徴するものだ。

平安神宮大鳥居は高さ24.4mの日本最大級の鳥居。 主祭神は、桓武天皇、孝明天皇だ。
創建は、明治28年(1895年) 、年例祭は4月15日で多くの人で賑わう。

神社といえば、一人ひとりにとって「初詣」が最もつながりが深い。
ちなみに2006年の初詣者数上位10社寺は以下の通りだ。そして驚くのは何と初詣参拝者総計は9373万人にもなるということだ。
それだけ神社は日本人の心に入っているものなのだ。

明治神宮 305万人 / 成田山新勝寺 275万人 / 川崎大師 272万人 / 伏見稲荷大社 269万人 / 熱田神宮 232万人 / 住吉大社 226万人 / 浅草寺 220万人 / 鶴岡八幡宮 213万人 / 太宰府天満宮 193万人 / 氷川神社 187万人

2006年08月19日

●洒水の滝

%E6%B4%92%E6%B0%B4%E3%81%AE%E6%BB%9D1.jpg洒水の滝は「かながわ景勝50選」、「日本の滝百選」、に選ばれている名瀑である。

「洒水」=「しゃすい」の名は、密教用語で清浄を念じてそそぐ香水を指すという。
雄大なその姿は三段からなり、落差は一の滝は69m、二の滝は16m、三の滝は29mという豪快な滝で、古くから相模の国第一の滝とされ「新編相模国風土記稿」では「蛇水の滝」と記されている。

毎年、7月の第4日曜日におこなわれる「洒水の滝祭り」では、信者による水行、洒水太鼓、滝不動境内での火祭りが行なわれる。
火祭りの後御幣は無病息災の御利益があるといわれ、人々は競って持ち帰るそうだ。

2001年には神奈川県の「かながわ未来遺産100」に箒杉とともに選ばれた。


%E6%B4%92%E6%B0%B4%E3%81%AE%E6%BB%9D2.jpgまた、その水は「全国名水百選」にも選ばれている。

水を持ち帰り珈琲を入れたが、美味しくいただくことができた。

場所は、名高速道路大井松田インターから国道246号線御殿場方向山北町樋口橋交差点(看板有)左折、しばらく走ると看板があるので右折して1分。
なお、洒水の滝手前のところの駐車場は20台くらいのスペースしかないので、この角の駐車場に駐車したほうがいい。

しばしの涼しさに浸ることができた暑い夏のひと時だった 。

2006年08月06日

●城

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城といえば日本では、古代の環濠集落から近世の石垣と天守の城まで多様である。幕末の台場や砲台も、城に含めることがある。曲輪のある陣は「城」といえるだろう。
現在、江戸時代以前の天守が現存するのは、弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松山城 (備中国)、松江城、丸亀城、松山城 (伊予国)、宇和島城、高知城の12のみである。

特に姫路城は「世界遺産」に登録されている。
また、広大な敷地と城にまつわる数々の話は興味をそそる。
そんなことを思いながら城内を散歩するのは楽しいものだ。

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2006年07月16日

●七夕

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七月七日には誰もが願い事を書いた短冊を笹竹に飾った思い出があるだろう。
五節句の一つである七夕は、彦星と織姫が一年に一度だけ天の川で逢瀬を楽しむ、というロマンチックな話で知られている。

日本では古くから伝わる七夕にまつわる信仰がある。それは‘棚機(たなばた)’という布を織る機械に由来するもので、お盆にけがれを知らない棚機津女(たなばたつめ=布を織る女性)が機屋にこもって神を迎えて祭り、お盆の終わりには人々のけがれを神に持ち去ってもらうという行事だ。
これが旧暦の七月七日に行われたと伝えられ、これらが習合して七夕となり、江戸時代には民間にも広がったそうだ。

大規模な祭りとしては仙台平塚の七夕祭りが有名だ。

2006年07月09日

●懐石料理

wasyoku0.jpg懐石料理とは、禅寺の古い習慣である懐石にその名を由来する。

本来は、茶の湯において茶会の際、会の主催者である亭主が来客をもてなす料理をいうそうだ。
懐石料理を弁当にしたものを点心という。

もっとも、現代では本来の懐石の意味は廃れ、和食コース料理を指すといった実利的な意味に変化している。

和食といえば、精進料理 、本膳料理 、会席料理 、懐石料理 、郷土料理 に大別されるが、どの料理も器に凝っている。
料理の器というと、利休時代には全てが黒漆塗りであったが、織部焼などの国産陶磁器の発達によって多彩な器が用いられるようになった。

現在では懐石料理に用いる器は陶器、磁器、漆器、白木、ガラス器などがある。
どれも料理との調和を考慮した組み合わせで振舞われるのがいい。

器の美しさと食の彩り、形を見ながら味わうのが和食の楽しいところである。


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